2008年01月06日(日) [過去の今日]
#1 アニメ「クラナド」を見て「ハルヒ」が萌えアニメでないことに気付く
前から 涼宮ハルヒの憂鬱 を「萌えアニメ」と主張する人はいて、俺はそれに違和感を覚えていた。SFだと主張するとSFファンに怒られるのでしないが(政治的判断)、少なくとも「萌えアニメ」ではないというのが俺の正直な実感。
でもまあ、記号だけ抜き出すと確かに萌え要素はあるのだよな。ハルヒのツンデレっぷりにはラストまでまったく気付かなかった俺だが、長門もみくるもいわゆる「萌える」タイプのキャラクターであることには違いない。もちろん、鶴屋さんもね。
それをもって萌えアニメだというならまあそうなのだろうなあとも思っていたのだが、先日俺の実感が間違ってないと確信を深める事があった。
アニメ「 クラナド 」 を見たことである。
まず見て感じたのは、「これぞ萌えアニメ」ということである。とにかくストーリーらしきストーリーが無い。いや、無くも無いのだが、そこはまったく重要でなく、演出的にもけっこうおざなりになっている。そしてひたすら出てくる女の子の数々。もう誰が誰だかわからなくなる勢いである。
そして一通りの登場人物が揃ったところでようやくストーリーらしきものが始まるのだが、その中身はというと特定の登場人物(もちろん女性)を数話かけて掘り下げて行くのである。他のキャラクターとの絡みがまったく無いわけではないが、完全に脇役になり、逆に掘り下げ対象のキャラクターが完全に主役になる。どうやらこのまま順繰りと女性キャラクターを一人一人掘り下げてくようだ。
この様子を見ていて思い出したのは、80年代から90年代にかけてのラブコメ漫画だ。特にイメージが湧いたのは「 らんま1/2 」あたり。
思えば「萌え」という言葉が生まれる前から「萌え」は存在していた。最近は少なくなったが、昔の漫画には変人がたくさん出ていて、大袈裟な特徴づけが行われていた。
たとえば「らんま1/2」の 天道あかね はツンデレの典型だし、髪形変更萌えとやらもそこにあった。 天道かすみ などは家事全般完璧にこなすが天然ボケという、かなりメジャーな萌えタイプであろう。
萌え文化はこういった漫画たちがベースになってるので、萌え型が似るのは当然といえば当然なのだが、「らんま1/2」を改めて見ると非常に「萌え要素」の強い作品だということに気付く。だがそれでも「らんま」は「萌え漫画」ではない。
「クラナド」を見て「萌えアニメ」だと感じたのは、こうした「らんま」に見られたような「萌え要素」をふんだんに盛り込み、かつストーリーも「らんま」の数ある話の一部に見られたような「特定の脇役を主人公にすえた話」のように構成されてるところである。
要するに「萌え要素だけを抜き出してお話を作る」ということに終止してるのだ。
ここで「ハルヒ」に立ち返ってみると、そこには確かに非常にひねくれた形で萌え要素が盛り込まれている。なんせ主人公に「萌えって重要だと思う」と言わせて萌えキャラっぽい女の子を見つけて来るというシーンが描かれるほどにひねくれてる。
だがそれはまったく中核ではない。萌えがあってもそれは従来からの漫画やアニメが持っていた萌えとなんら変わり無く、特筆すべき萌え要素の塊は見受けられない。
「クラナド」が今後どう展開して行くかはまだわからないし、原作となるゲームもプレイしてないのでなんともいえないが、今後もこのままキャラクターに焦点をあて、彼女らの持つ「萌え要素」を主体として展開されてくことは予想できるだろう。
「萌えアニメ」とは言わば昔のラブコメ漫画にあった丁々発止の会話でありボケツッコミでありその裏にある恋愛感情やピュアな思いに悶える事を中核とした作品のことなのだ。
そりゃあ感動もするはずだ。「特定の脇役を主人公にすえた話」は普段何げなく行動してる脇役たちにこういう思いがあったのかとか、実はこんな背景があったのかとか、そういう楽しみがあった。そういった話でじんと来た思い出はあるだろう。
誰しもそういった要素に触れたことはあるだろうし、楽しんだこともあるだろう。その部分だけ抜き出してるから「萌えアニメ」なのである。
もちろん、だからといって価値が無いとは思わない。そもそも漫画やアニメはキャラクターの魅力でひっぱっていくものだし、そこに注力した作品があっても別にいいと俺は思う。 俺にとっては、クラナドはそこかしこで言われる「萌えアニメ」というのがどんなものなのかというのを見事に見せてくれた作品という意味で非常に価値があった。萌え要素が強くてストーリーがおざなりになりがちだとはいえ、最初のひたすらキャラクターが出てくるところを過ぎてしまえばそれなりにおもしろく見られる作品でもあった。今後も見つづける予定である。
むしろ「らんま」でかすみお姉ちゃんサイコー! 結婚してくれ! とか思ってたような人にオススメしたい作品である。
(@435)
2006年01月06日(金) [過去の今日]
ひろの日記帳 でハッケソ。
むう、これ本物なのかな。MSのセキュリティチームのBlogなんだそうだが。
トップページ を見るとMicrosoft Communityと書いてあるし、マイクロソフト社の名前で著作権表示がされてはいる。 だがドメインをwhoisしてみると、InfoVisionとかいう会社が所持してる。一応 infovision.co.jpもexconn.netも、プライマリネームサーバが dns.microsoftkk.com だったりはするんだが、これは信頼性とはまったく関係ない *1 。
うーん、こういうのはちゃんと本家サイトと相互リンクして、妥当性が示せるようにしてもらいたいなあ。たぶん、内容とかどこかの紹介とかで本物と判断できるだけの材料は(探せば)あるんだろうけど、ぱっとわかるようにしておいてもらいたいと思うのは贅沢なんだろうか。
(@619)
@ 本物らしい:
ハッケソ元のひろさんから情報提供を頂き、 MS TechNet からリンクされているとのこと。
汚し飯 でハッケソ。
むう、やっぱりソフトウェアと特許はややっこしい問題を抱えてるなあ。フリーソフトウェアの場合、商用のソフトウェアとは違って、製作者と配布者が別個であることが多いため、配布者が特許違反で訴えられる可能性があることは特に重要だろう。改変再配布者にとっても、自分の改変した部分に特許違反が無くても訴えられる可能性がある。実際に、ジャストシステムと松下の裁判では、マイクロソフトのライブラリにあった特許違反(最終的には否定されたが)をジャストシステムやそのソフトがプリインストールされてるPCを売ってたソーテックが訴えられるという、ある意味非常に深刻な状況があった。GPLソフトウェアに対して特許権侵害で訴訟を起こす相手には罰則が必要ではないかという意見もあるそうだ。
これらは次期版GPLに向けて現在議論されている問題だ。「そうした罰則を定めれば、特許武装した著作権侵害者からオープンソースコミュニティを守るのに役立つかも知れない」と、ソフトウェアに対する特許全般を声高に批判するStallmanはいう。
このストールマンの言葉に問題が集約されてるね。「特許武装した著作権侵害者」だってよ。
通常、特許で武装してたとしても、著作権を侵害することは難しいだろう。例えば「隙間風/がなる扉に/乗る雪よ」という俳句があったとして、各節の頭を切り出すと「すがの」という自分の名前になる特許があるからそれは特許侵害だ、などと言うような事はまずありえまい。
しかし、ソフトウェアは著作物でありながら工業製品としての側面を持つ(というよりむしろ本質だろう)ため、特許対象にもなり得てしまう。それゆえ著作権と特許権が衝突してしまうのだろう。これは著作権との二重保護にも問題があるし、ソフトウェア上の特許そのものにも問題があるようだ。
wikipediaのソフトウェア特許の項目 が参考にはなるが、やはり非常にわかりにくい。どうもいくつかの問題が混在してるようだが、ちょっと正確に切り分けられる自信が無い。
だが、わかったのは一つはどこまでがソフトウェア特許なのかという「範囲問題」であること。もう一つはソフトウェア特許によるコストが問題視されるほど膨大になりつつあるということ。そして三つめは、ソフトウェアは先行技術調査が難しいということだ。
要するに特許法で保護するのに不適な特性を持っているということだろう。なれば、著作権との二重保護も含めて、ソフトウェア特許に反対する充分な理由はあるということになる。
調べる過程で見付けた(というか思い出した)のだが、マイクロソフトはPC販売メーカー各社に対して、特許非係争条項をOEM契約に盛り込んでるそうだ。要するに表題記事中のBruce Perens氏の言うような、
「次期版GPLに、例えば、ある人物が特定のフリーソフトウェアに関する特許権を行使したら、その人間のフリーソフト使用権が消滅するといった、相互防衛条項が盛り込まれることを期待している」
というのは、このマイクロソフトの事例と同じことをやろうということだろう。 こういう契約自体は批判もあるようだが、現状では致し方無しということになるのだろうか。
だが、法律は変わる可能性も大きく、また批判が高まってるソフトウェア特許においてはその可能性も少ないとも言えないだろう。実際、 欧州議会はソフトウェア特許法案を否決 している。
さらにGPLを適用するためにGNUが用意してる例文には、GPLの後継バージョンが自動的に適用されることが書かれている。こういう状況においてGPLv3にそのまま特許非係争条項を盛り込むような形は、やはり望ましくないのではないか。せめて特許非係争条項付きGPLというような、別のライセンスを用意するべきではないだろうか。そうでなければUNISYSのGIF特許事件のような、後出しジャンケンになってしまわないか。
知的財産保護は重要だが、他人の知的財産や生産活動をおびやかす程の保護は悪でしかないだろう。現状の特許制度がまさにそういう性格を帯びて来ているのではないかという疑念、そしてソフトウェアライセンスにおける特許非係争条項にそういう性格が無いかという疑念、この二つはトンネルと出口と入口のように見える。これらは、両面から掘り進める必要があるだろう。
(@308)
2005年01月06日(木) [過去の今日]
#2 偽札
ニュース番組を見ていると、偽札がずいぶんと出回ってるようだ。
市販プリンタやコピー機の性能が上がって、自宅で簡単に偽札が作れてしまう環境が整っている。そういう状況に対応するための新札なわけだが、旧札がまだ中核をなしている今のうちに、作れるだけ作ってしまえというある種の駆け込み需要が見て取れる。
旧札が骨董品になってしまえば、然るべき鑑定を受けねば価値は出ないはずで、もう偽札は作れないだろう。しかし、それまでの期間は少々長すぎるようにも思う。旧札の使用停止命令くらい出してもいいのではないだろうか。それともマスコミがさわぎたててるだけで、実際にはたいした被害は出てないのだろうか。
マスコミが信用できないことを知ってしまうと、こんな推論もできなくなるな。間違った推論をするよりはずっといいのかもしれないが、代替情報源が限られる現状ではいささか厳しいものがある。やれやれだ。
(@996)
ひろの日記帳 でハッケソ。
んー、Canna互換ってことはEmacsからもそのまま使えるのかね。まあ、バイナリ配布オンリーなうちはどうにもならんが。
しかし、Cannaの悪口言われると必死で抵抗したくなるな。Cannaの辞書作ってるせいでもあろうが。 巫女ぐにょ に入ってるCannaはそれなりに賢くなってる……はずなんだが。
(@457)
@ Cannaの変換がバカな理由:
単純に語彙が少ないということがあげられる。Public+辞書はたかだか42011語しか収録されてないし、他の辞書を合わせてもせいぜい5万語程度しか無い。
まあ、そこで美紗緒辞書を追加するわけだが、正直語彙数は把握してない。行数だけで言うなら全部で224499行あるのだが、1行に複数の語がかかれてるものも大量にあるので、実際には30〜40万語が収録されてるのではないだろうか。このへんはベースになったshion辞書の仕様だったりもするので、変更はけっこう大変になりそうな気がする。
1.0リリース後、じっくり考えることにしようか。
(@467)
2004年01月06日(火) [過去の今日]
#3 xft2 はよくわからん
なんかいつの間にかまた埋め込みbitmapフォントが出なくなってた。なんでじゃ。しょうがないので設定を戻して対処。
<test compare="more" name="size" qual="any" > <double>0</double> </test> <test compare="less" name="size" qual="any" > <double>15</double> </test> <edit mode="assign" name="antialias" > <bool>false</bool> </edit>
するとまたボールドが出なくなった。ああもう、よくわからん。
(@917)
@ ぬ:
libxft2まわりをrebuildして入れ直したら元通り。よくわからんなあ。何かに上書きされたのか?
(@089)
#2 穴
ぐあー、DSAがたくさん来てる。Linuxカーネルの穴も見付かったみたいだし、今日はひたすらアップグレード作業かなあ。
まてよ、DSAに来てるの、bind8の穴か? bind8のSAなんて他で見当たらないぞ。むむう、Debian specific: no になってるし、はて?
(@364)